Vol.45 転職をしたきっかけ
僕が転職をしてから約1年が経ちました。
転職をした経緯と、その後どうだったかについて書きたいと思います。
僕は、新卒でJA組織に入社しました。
JAに入社したら、毎日定時に帰れてジムとか飲み会とか楽しい人生が待っているに違いない!
こう思っていました。
僕が所属したJAは、皆さんの周りにあるJAとは少し違い、特殊な組織体であったため、業務もイメージされるJAからはかけ離れたものでした。
そんな組織で僕は不動産活用の推進担当者となりました。毎日遅くまで、土日関係なくお客さんや取引業者と一緒になって仕事をしていました。
結婚して、子どもが生まれてもそんな生活は変わることなく、家庭のことは妻に任せっきりで、自分はひたすら毎日深夜まで仕事をしてきました。しかも、それが辛かったというわけではなく普通に楽しかったのです。
そんなこんなで、勤続6年目にしてターニングポイントが来ます。
子どもの保育園問題でした。
ちょうど上の子が保育園に上がる前で、下の子を保育園に預けるのかどうするのか妻と話しました。
妻は、結婚してすぐに子どもができたため、長い年数働いていませんでした。そんな彼女は、職場への復帰を望んでいました。
上の子が4歳、下の子が2歳になる年度でしたので、下の子も保育園にあずかっていただく必要があります。また、保育園が二人とも一緒になる可能性も高くはありませんでした。
新型コロナウイルス感染症が世に出回る前の話でしたので、妻に任せっきりで、私が土日も家におらず深夜まで働くことに不安を覚えました。もちろん、妻にも復職してもらいたかったので、自分たちが家庭を築いていくことができるのかわかりませんでした。年次も上がり、業務量も増える中で、共働きで子どもの面倒をちゃんとみえるのか、それって家族なのか?とも思うようになりました。
そんな状況下で、転職しても良いかなとかなり軽い気持ちが芽生えました。
たまたま、大学時代のアルバイトの後輩に、夜9時のスターバックスで会った時のことです。僕の現状と悩みを打ち明けると、彼が働いている大学について話を聞かせてくれました。家庭と両立している人、趣味を楽しんでいる人など、 のびのびと仕事をしているように感じました。まあ、今はそこにいて自由にさせてもらってますがね(笑)
もともと、ずっと愛知県から他県に出たことがなく自分が生まれ育った地で仕事をして社会に貢献することが目的で会社を選びました。そういった意味では会社選びは間違っていなかったと思います。素晴らしい会社でした。
しかし、年月が経つにつれて、愛知県全域というよりは、より自分が生まれ育った地で働きたいという欲も芽生えていました。不動産の仕事は、かなり地域のことに詳しくないといけないし、その地域に愛着がないといい仕事はできないと思います。だからこそ、上司に相談を重ねて地元を担当できないか打診してきました。ダメでしたが。
結果的に、今の会社を内緒で受験し、内定をいただいたのでJAを退職しました。
今は、土日休み、ほとんど定時で退社してます。
保育園の送り迎え、家のことをたくさんやるようになりました。
給料は残業代は減りましたが、基本給は増えているので成功かなと思ってます。
私の場合
①仕事はしんどかったけど、すごく楽しかった。
②給料にも満足していた。
③子どもが大きくなり、家庭として判断した。
④妻にやりたいことを続けて欲しかった。
この4つの事象のうち、③と④が転職のきっかけとなりました。
よく、しんどかったり、薄給で転職を考えられる方もいらっしゃるようですが、少し特殊かもしれません。
①より地元で仕事がしたくなった。
②人を育てることに興味を持った。
③小さい組織だからこそ、自分が仕組みを構築し、環境を変えたい。
上記3つは、私が転職面接の際に、実際に志望動機として述べたものです。
②は、前職で後輩が増え、人を育てることに興味を持ったので、大学事務というこれから社会に出ていく若者たちに何かできないかと(特にキャリア支援など)思ったからです。
③前社はグループで1,200人超の会社でした。一方大学は、先生を含めても1,000人に到達しません。事務員だけだと150名しかいません。たった150人で回している組織だと思うと自分の裁量はかなり大きいです。なんでもやることができます。
前職はネガティブな理由で退職する先輩や後輩がたくさんいる中で、私だけポジティブな理由で退職することとなったらしく、人事課や直属の上司・先輩方からは特に引き止められませんでした。まあ、仕事ができなかったのかもしれませんが…
引き止めても無駄だと思ったのでしょう。
今回は、私の体験談としてかなり前向きな転職について記述しました。
私にとって、保育園問題が生じなければ、家庭を顧みず仕事に熱中することが続いていたかもしれません。
家族よりも、仕事や顧客とのコミュニケーションが多かったかもしれません。
あくまで仮定の話なので分かりませんが、この道を選んで正解だったと思います。
実際に、こうやってBlogを楽しく書いていられるわけですし。
選んだ道を正解にする
とでも言っておきましょうか(笑)